豆知識

日本遺産認定ストーリー構成文化財~その2~

◆金透記念館(きんとうきねんかん)

木戸孝允によって名付けられた学校

 「郡山学校(後の金透学校)」は、開成館と同じ「擬洋風建築」として建てられました。建築当初は小学校と併せて中学校を設置する予定でした。

 明治9年(1876)の明治天皇巡行の際には休憩所として使用され、その際、明治天皇の随行として来県した木戸孝允に名付けを依頼したところ、「金透学校」と名付けられました。

 明治13年(1880)に金透学校内に郡山農学校が開校しました。当時、福島県勧業課開拓科出張所長であった立岩一郎は、農学校の開校に奔走し、出張所長兼務で初代校長に着任しました。一郎は官営の駒場農学校(現在の東京大学農学部)を訪ね、農学校運営を学びました。そのため郡山農学校にはイギリス大農法の農業技術を導入しようと設立された駒場農学校の規定がほぼ適用されました。後に郡山農学校は実習地が近い開成館へ移され、開成山農学校と改称されました。

 昭和53年(1978)に金透学校は金透小学校の敷地内に移築・復元され、現在は「金透記念館」としてその姿を残しています。

金透記念館<郡山市ウェブサイト>

金透記念館<郡山市観光協会ウェブサイト>

明治初期の金透学校

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