久米正雄写真館

中学時代から野球を始め、後の文士仲間を集め「ゲイ倶楽部」や「鎌倉老童軍」などの野球チームを結成。自称強打者として鳴らした。

バッターボックスの久米

祭司役の久米。戦時下で途絶えていたカーニバルをいち早く復活させるのに尽力を惜しまなかった。

鎌倉カーニバルにて

大正末期に麻雀が流行するといち早くマスターし、日本麻雀連盟二代目会長を務めた。初代会長は菊池寛。

麻雀卓を囲んで

幼少の頃から絵筆を握り、絵画

絵筆をとる久米

右れる左から田中順、加能作次郎、菊池寛、後列右から直木三十五、佐佐木茂索、久米、宇野浩二、芥川龍之介 大正9年(1920)11月、大阪

文芸講演会で

鎌倉二階堂の自宅書斎。久米正雄といえど、常日頃からよどみなく筆が進むことはないらしく、執筆の苦しみを随筆で述べている。

書斎にて

左から久米正雄、長男・昭二、妻・艶子 昭和22年(1947)頃

自宅の応接間で

後列右から久米、火野葦平、吉川栄治 昭和15年(1940)

文芸銃後運動で台湾を講演旅行

昭和2年(1927)に誕生した昭二を抱く艶子夫人

誕生を祝って