三汀忌とは

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三汀忌について

久米正雄は1952年(昭和27)2月29日脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
奇しくも死の十日前、病で床に伏せっていた久米が、旧知の俳句仲間である高田保の訃報を聞き、その死を弔して電報で打った「ハルノユキ ヒトゴトナラズ キエニケリ」が、文字通り辞世の句となりました。三汀忌は久米正雄の俳号の「三汀(さんてい)」が由来となっています。久米が微笑と苦笑を合せて作った造語「微苦笑」から"微苦笑忌"とも呼ばれ、3月1日を周忌日としています。