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安積開拓と安積疏水に関するアレコレ~その7~記念日11月11日

安積開拓と安積疏水に関連する物事や人物などについて、豆知識としてギュッとまとめてお届けします。
〔記念日アレコレ〕では、安積開拓や安積疏水を語る上で重要な出来事が起こった日をピックアップします。

〔記念日アレコレ:11月11日〕国営安積開墾のはじまり~旧久留米藩士族が郡山に到着

 明治11年(1878)4月、明治政府は安積郡の対面原(現在の郡山市喜久田町から熱海町周辺)ほか近隣諸原野の開墾を国営事業として行うことを決定し、士族授産(職を失った旧武士層の生活救済のための一連の施策)で開墾事業に当たらせるため、全国各地から旧士族を入植させることにしました。
 その入植者の第一陣が福岡県の旧久留米藩士族です。同年10月25日に久留米を出発した先発隊8名が郡山に到着したのが翌11月11日で、偶然にも、明治11年11月11日という1が並んだ記念すべき日となりました。

■久留米開墾率先碑

 旧久留米藩士族は、最終的に141戸が入植しています。入植者たちは久留米開墾社を結成して開墾事業を始めました。この後、鳥取や高知など全国各地(福島県内含む)から旧士族の移住入植が行われました。
 現在の郡山市開成二丁目の国道49号線沿いには、久留米からの入植者を称える『開墾率先碑』があります。この碑は、入植者の子孫たちが発起人となり大正7年(1918)7月30日に久留米開墾40周年目を記念して建立されました。

『久留米開墾率先碑』
開成二丁目の国道49号線沿い、
開成山公園西側駐車場入り口付近に静かに佇む。
旧久留米藩士族は大蔵壇原(現在の郡山市久留米)と
対面原にそれぞれ移住したため、
その中間地点であるこの地に碑が建てられた。

<参考文献>
 『開拓者の群像 大久保利通と安積開拓』立岩 寧
 『久留米開墾百年の歩み』久留米開墾百周年記念事業実行委員会
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【安積開拓と安積疏水に関するアレコレ】[その3]現在に受け継がれる『久留米押し絵』
【安積開拓と安積疏水に関するアレコレ】[その5]安積開拓と姉妹都市のつながり

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