豆知識

安積開拓と安積疏水に関するアレコレ~その2~明治天皇郡山学校での休憩

安積開拓と安積疏水に関連する物事や人物などについて、豆知識としてギュッとまとめてお届けします。

明治天皇の東北巡幸における郡山学校での休憩の様子

 明治9年(1876)6月から7月にかけて明治天皇の東北巡幸が行われました。その際に、郡山学校(現在の郡山市立金透小学校)が休憩所として開成館が行在所(宿泊所)として使用されました。
 6月2日に東京を出発した明治天皇一行は、同月16日午前9時頃に郡山町の郡山学校に到着、1時間程休憩してから桑野村へ向い開成館で一泊、翌17日午前7時頃に開成館を出発して再び郡山学校へ行き、前日同様1時間程休憩しています。

『郡山学校(金透学校)』
 明治6年(1873)に建てられた際は
「盛隆舎」と称された郷学校であったが、
後に「郡山学校」となった。
 校舎が手狭になり、明治天皇行幸の年に
同じ場所に新築の校舎が建てられ、
行幸に随行した木戸孝允により
「金透学校」と名付けられた。

■16日の休憩の様子

 休憩所となった郡山学校では、仮の玉座が設けられました。16日の休憩の際には生徒が磐梯山から運んだ雪を献上しており、その様子が『奥羽御巡幸明細日誌』に記されています。
 明治天皇が校内を巡覧し、雪の献上に喜んだ姿がうかがえます。

御小休あらせらるゝうち校内楼上楼下ならびに門内に在る
両袖学校へ玉歩を移され玉ひ親しく 叡覧あり是時学校より
生徒が取り来りたる雪を献上せしに 主上も御感斜めならす
供奉の卿相雲客も賞翫ありて大に喜こひ玉ひたり
(『奥羽御巡幸明細日誌 第四號』より抜粋)

■17日の休憩の様子

 男子生徒が校庭に集合し、体操実習を披露しています。随行していた木戸孝允が日記の中でこの体操を「シナモスチック」(=gymnastics)としているため、この体操は西洋式体操だったと思われます。
 なお、木戸孝允は当時の校長に依頼され、郡山学校の校名を「金透学校」と名付けました。現在の郡山市立金透小学校の一角には、当時の校舎の一部を復元した「金透記念館」が建っています。


『金透記念館』
 昭和53年(1978)に学校創立百五周年記念に
合わせて復元された。
 正面2階に掲げられているのは木戸孝允が揮毫した
校名の扁額を模したもの。
 木戸は、日記に「金透学校」と名付けた時のことを、
“郡山の小学校の校名と額面を被頼、金透學黌の
四大字を認め、明治九年六月 龍駕過此日として贈れり”
(『木戸孝允日記』3)と記している。
 (画像提供:郡山市)

<主な参考文献>
 『開拓者の群像 大久保利通と安積開拓』立岩 寧
 『殖産興業と地域開発―安積開拓の研究―』日本大学安積開拓研究会
 『郡山の歴史』 郡山市
関連情報はこちら(別サイトが開きます)

金透記念館<郡山市ウェブサイト>

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