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郡山の遺跡

郡山には1,168箇所の遺跡があります。当センターでは、昭和58年以降、161遺跡300地点の発掘調査を行い、郡山市の歴史を彩るさまざまな発見をしてきました。
このページでは、その中からいくつかの遺跡を紹介します。

守山城跡

今から400年前、豊臣秀吉や徳川家康が活躍していた頃の大名屋敷が郡山市田村町から発見されました。守山城跡は、中世から近世の初め頃に使われていた城です。
中世には三春城主の田村氏、近世の初め頃には会津若松城主の蒲生氏や上杉氏の支配下にあり、その家臣が城主でした。


出土した遺物

  • 中国から輸入された陶磁器
  • 愛知県の瀬戸で焼かれた茶碗
  • 滋賀県の信楽や岡山県の備前の焼き物など

荒井猫田遺跡

平成8年から発掘調査が進められている郡山市安積町の荒井猫田遺跡で、中世の館や町・道などが発見されました。館は2つあり、それらの使われていた時代が違うことが分かってきました。
遺跡の南側で発見された館Aは13〜14世紀、北側で発見された館は14〜16世紀に使われていたもののようです。

咲田遺跡

市内でも有数の住宅地である咲田一〜二丁目は、奈良・平安時代、さらには縄文時代にも、多くの住宅が建っていた場所であることが最近の発掘調査によって分かってきました。
狭い面積でしたが、この咲田遺跡で発掘調査が実施された際には、奈良・平安時代の溝跡や、縄文時代中期の住居跡などがみつかりました。

大鏑舘跡

発掘調査が進められている富久山町福原の大鏑舘跡は、周囲より一段高い地形となっており、地元の言い伝えなどからも、戦国時代の城であることが調査前から分かっていました。
大鏑舘跡は、その立地などから福原城である可能性が高い城です。文献資料によれば、福原城は三春を本拠とした戦国大名田村氏の支配下にあった時期があり、戦国時代の郡山地域を考える上で重要な城の1つといえます。

小川後田A遺跡

平成16年8月から12月にかけて小川後田A遺跡の発掘調査が行われました。遺跡は田村町小川に所在し、市内でも有数の遺跡密集地帯の中にあります。
動物を生け捕る縄文時代の落とし穴、弥生時代や古墳時代の土器片、奈良時代の住居跡、中世の白磁や青磁など幅広い年代の遺構や遺物が発見されました。

高林遺跡

昭和45年に東北縦貫道路の建設に先立って発掘調査が行われました。喜久田町では唯一、発掘調査が行われた遺跡です。
調査の結果、平安時代の住居跡一棟と中世の舘跡と考えられる堀跡の一部や、門の跡などが検出されました。高林遺跡のすぐ南に、堀之内遺跡という城遺跡があることから、何らかの関連性があると考えられています。

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